「論文語」の正体ってナニよ? †論文を書いていると、普段なら絶対に使わないような言い回しや表現が、数多く 求められると思います。これを私は個人的に「論文語」と呼んでましたが、実は 最近その正体を悟ったのです。 論文語とは、厳密な正確さをもって記述する言語のこと。 いきなり訳分かんないこと書いてますが、要約するとこうなります。 つまり普段の私たちは、如何に曖昧で適当でいい加減に日本語を使っているか、 ということを認識する必要があるんですね。 たとえば主語を省略してしまったり、複数の意味で取れるような言い回しを使って みたり、両者に暗黙の了解がないと分からないような表現を用いたり。。。 普段の会話や、親しい知人とのメールなどではそれで良いでしょう。 しかし、今回みなさんが執筆するものは、いつ誰が読むか分からない、パブリック な文書として未来永劫残されるものです。それを曖昧な言葉で書いてしまったら、 どんな誤解をされるか分かったものではありません。 それが起きないように、アースクエイクや大地斬が炸裂しているのです。 決してみなさんをいじめるためではありません(当たり前だけど!)。 では厳密に正確な言葉とやらは、どのように綴ればよいのか。 普段の適当な言葉遣いとの差はどのあたりにあるのか。 そこらへんを考えていってみるとしましょう。 マグロは嫌われる〜受け身はとにかく禁止 †歴代の卒研生がまず声を揃えて言うであろうポイントがこれ。 日本語の性質として、受動態というのは多用されがちです。 何となくきれいに文章がまとまるからです。 「このツールによって構成されるファイルは〜」 「〜だと思われる」「(2-2)式で用いられる変数値xを〜」 これら、論文ではことごとくブッブーです。 日本人はこういう表現を曖昧に使い、曖昧に解釈してしまうのですが、 論理的な文章においては、主語を曖昧にしてしまってとんだ誤解を生む種に なりかねません。必ず能動態で言い切るようにしましょう。 「このツールによって構成するファイルは〜」「式で用いる変数〜」という感じ。 「思われる」っていうのは、受動態以前に「思う」なんてテメーの主観を書いて しまってる時点でアウトですね。主観的な考察ではアリかもしれませんが。。。 この受動態、気を付けてもぽろっと出てしまいますので、査読してもらう前は 必ず自分で読んでチェックしましょう。院生に見てもらうのももちろんアリです。 まぁ、まずは自分で読め、と †受け身の最後に書いたことと繋がりますが、誰かに読んでもらうときは必ず自分で 読み返しましょう!中間報告書の時もそうでしたが、明らかに一度もチェックして ないような原稿を持ってくる人が居ますが、先生の怒りゲージをメリメリっと増加 させるだけですよ?自分のみならず、みんなが不幸になるので必ず一度落ち着いて、 初めてその文章を読むつもりになって見返すこと。これ絶対。 明らかな誤字脱字、不明瞭な表現はこれを徹底するだけで事前に相当削れます。 まぁ、そしてさっさと見せろ、と †そしてミーティングの時に私が思うのがコレ。 みんな遠慮しすぎです。なんでそんな尻込みして譲り合うんですか? 順番が後になっていいことは、断言しますが、ひとっっっつもありません。 後半戦になると、先生の取り合いになりますよ?そんな状況で根本的な部分の ダメ出しなんかされたら。。。次に見てもらえるのはいつになるのか。。。 ああ恐ろしい! てなわけで、査読していただける時間までに、必ず見せられるレベルのものを 用意するようにしてください。もちろん自分でのチェックも済ませておくこと。 私は真っ先に斬られに行きましたが、そのおかげか脱稿はかなり早かったです。 # 細かい修正は年明けてからも続きましたけど。 みなさん論文を書くなんて初体験なんですから、斬られて当たり前、怒られて 当たり前です。痛みを受けるのをおそれず、どんどん特攻してください。 後回しにすると、そのツケは何倍にも膨れあがって襲ってきますよ。。。 論文を見せる前のチェックポイント †
自分のエディタに自分で「れる」「られる」「される」などの単語を検索かけて、 徹底的に洗い出そう。 そして、能動態に直そう。 どうしてもうまい表現が見つからないときは、近くにいる人間に問答をふっかけよう。 逆に、「研究がなされている」ってどうやって直したらいい〜?とか聞かれてしまったら 一緒に考えてあげよう。 教えるは学ぶの半ばです。
3DCGって書いていないか君。 3DCGだぞ君。 しかし全角英数は後から狩り出すのがなかなか難しいので、 普段から半角英数を使う癖を心がけよう。 そして、見つけたら即直そう。 すぐにどこだったか忘れてしまうから。
キャプション(図や表の説明)はどの図や表にも必ずつけよう。 表の場合は上、図の場合は下につけよう。とりあえず。 迷ったときは図や表を多用している先輩の論文を参考にしよう。
参考文献は最後に「.」ピリオドをうつのが世の常らしいです。 もちろん、最後がURLでもピリオドはちゃんとうつんだよ。 [例] 電波神ダルタニアン,"電波論文の飛ばし方", 日刊毒電波(付録:殿堂度電波論文), 1192. ↑去年のA君のコメントコピーだ。カンマ、ドット、位置、年号を間違えないように。 ちなみに書籍と論文では書き方が違うぞ。 映画やゲーム、URLを参考にあげることもできるが、 基本は書籍と論文。でないと最後に斬られてしまうぞ。 これも去年の先輩どものを参考にしよう。 また、参考文献の番号([1] とか [2] とか)は、論文に出てくる順番に並べよう。 まぁでも、時間がないときはそんなこと言ってられない。 あまり細かいことを気にしすぎず、とりあえず見せることも大事だ。 ちょっと先生の仕事が増えるだけだ!気にすんな!!(爽やかな笑みで) 誰かに何かを聞くときは †http://www.hyuki.com/writing/techask.html なってない質問の仕方をして怒られたら、ここを読んで出直すこと。 この結城浩さんのサイトには、 他にも有用なドキュメントがたくさん公開されています。 この方はクリスチャンなので、その信仰に根ざした精神論などが多いのですが、 実に素直で読みやすい文章を書かれる方です。 息抜きのWebサーフィンの際にでも、ぜひ読んでおくと良いと思います。 ちなみに数学ガールの作者でもあります。 論文を推敲するときに。 †
論文は誰が読むかわからない。 自分の中では常識なことでも、他の人にとってはそうでないことが多い。 また、勉強しているうちにいつの間にか「これは常識」と思い込んでいることも多い。 一般的ではない単語、曖昧な単語には、ある程度の解説をつけるか、最初からつかうんじゃねぇ。
出来上がった論文を読むのは、誰かわからない。 でも、添削するのは、誰か。 自分か?友達か?院生か?他の大学のえらいキョージュ様か? ちげぇだろ、W先生M先生のWindowsMeidaコンビだろ(ひでぇ)。 きっと他の大学の論文や、他の研究室の人の論文を見ると、 受動態ばりばりあったりするだろう。 キャプションの位置ばらばらだったりするだろう。 他人の研究について長々と述べてたりもするだろう。 でもよそはよそ!うちはうちなのよっ!!!(←ヒステリックに読め) 去年も何人もの学生が「でもこの論文だとこういう表現を使ってますけど!!!」と戦いを挑み敗れた。 早めに腹ぁくくれ。 友達の論文を読んであげるとき †
友達の論文を読んであげるとき まず、初心にかえって読んであげよう。 自分の専門分野じゃないから…とは思っていても、 何度も発表聞いている相手なので、もう君も実は結構わかってしまっている。 でも、やっぱり書いた本人よりは客観性が高い。だから、 ここで突然出てきた専門用語は一般的なのか。説明はいらないのか。 自分で心がけて書くのはもちろんだけど、 友達の論文を見てあげるとき、注意しようよ専門用語に。 「なんかこの専門用語説明がゼンゼンねぇんだけど…。パーコレーションて結局何?」
誤字脱字はいいとして、文法の誤りは、自分も自信がなくなってくる。 特になんか、いろいろ突っ込みどころの多い初期論文は、 書いてる本人も読んでる本人もわけがわからなくなってしまう。 でも、「なにがおかしいかわかんないけどなんかおかしいな〜」 と感じる部分は十中八九「おかしい」ので、 とりあえず逮捕君。 でも、どう直したらいいかアドバイスできないときは、 他の友達や先生に相談しよう。
図・表・式・参考文献につけたナンバーが ずれていたり間違っていたりすることもある。 たまに、??になっていることもある。 そういうところもチェックしてあげよう。 これは結構面倒くさいが、本人が何度も書き直しているうちに だんだんおかしなことになっている場合もある。 そして、本人はまったく気づかないこともある。 番号あってるか、確認くらいしてやれよ。 なんつーか、 気分は小姑!「●●さん、ここ、こんなに埃がたまっていてよ!!!」 まぁ、人の論文を見ると、結構自分の頭が冷えることもあるし、 自分で何度読み返しても気づけないことを 他人がぱっと指摘することは多いので、読んであげよう読ませよう。 体言止めはブッブー †久しぶりの追記事項です。 「体言止め」は論文ではアウチです。文学的には含みを持たせられてカッコイイ 文章になるんですが、論文には不向きな文体といえます。 「〜するパターン」「〜という手法」「うねる仙術」「火を噴く妖術」などなどは 要注意。ほら、要注意っていうのもダメなんですよ〜だ。 参考文献の使い方 †参考文献の番号を名詞がわりに使ってる人が結構います。 かくいう私もそうだったんですが、実はこれもブッブーです。 番号を抜いても文章として成立しなくてはならないからです。 [1]によると、 [3]の手法では、 はい、もしこれの番号が外れたらどうなるか分かったもんじゃないですね。 どうするかと言うと、 〜らの研究[1]によると、 〜という手法[3]では、 こんな感じです。文中で具体的に内容の概略を説明する場合や、執筆者(ら)の 研究という引っ張ってき方があります。どっちが適切かは自分で判断するか、 過去の遺産を参考にしてたもれ。 図は出したからには説明すべし †図・式・表にキャプションをつけるのは当然ですが、使ったからには本文中でも 必ず説明する必要があります。ガイドラインとしては、プリンタがバグってその 図が表示されなくなったとしても、本文を読むだけでどういう図が出てるのか、 想像がつくくらいに説明して下さい。 パターンとして、 以下の図x.xは、〜を〜している様子を示している。 のような書き方が安定です。 図に対する説明以外で、図の存在に完全に依存する文章は多分ダメです。 図x.xのように〜 とかいきなり引いてくるのはアウト。必ず全ての事象を説明しきった後で、 図に対する説明を入れましょう。どうしても図解以外に説明しようがないよ〜 というケースもあるでしょうが、それは非常にレアケースなはず。 図が無くても意味は通る、は原則です。 これは逆も言えて、図とキャプションだけ放り出されても、ある程度の意味が分かる (その図で言わんとしてる事が分かる)というのも重要なポイントです。 だからキャプションは大事なんですよ。うかつに変なのつけないように。 式や表も基本的には同じですが、式中の文字や表中の要素を具体的に解説したり する場合があるので、多少勝手が異なります。ここらへんも他の論文を見て参考 にしましょう。 |